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芦屋のイタリア料理店

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2011年7月

地方料理と伝統料理 そして 創作料理と現代料理

 今回は難しいテーマです。そしてアホみたいに長いです。
 
僕はイタリア料理が大好きです。
ここで言うイタリア料理は、バブル期に一気に人気者になったイタメシでもなければ、おしゃれなイタリアンでもありません。
 
イタリアでイタリア人が、心と体の糧とするソウルフードを指します。
そして、そのソウルフードは地理的、気候的要因、歴史的背景等により地方地方でかなり異なり、それゆえ地方料理と呼ばれます。
 
今日はその地方料理と伝統料理、そして創作料理と現代料理の話を。
 
これは、イタリア料理に携わる人間にとって避けては通れないテーマであり、イタリア料理のアイデンティティ― そのものです。
 
 
イタリア料理とは?実は非常に定義が難しい料理です。
イタリア共和国内で独自に発達した地方料理の集合体。
無理やり定義するとこんな感じでしょうか?
イタリア料理とは、実在する料理で無く、便宜上使われる表現、位の捉え方の方が的を得ているかもしれません。
こんなに歴史の古い国ですが、今のイタリアの領地で落ち着いてまだ150年ほどです。ナポリとミラノは200年前は違う国だったんですよ。
 
まー、これは政治的な国境で、すでに文化的な交流はあったと思いますが、それも上流階級の話ですね。
では、一般的な庶民のイタリア人がイタリア料理を意識したのはいつか?
それは、ムッソリーニ政権時代、兵役でイタリア中から集まる若者が、軍隊の食事で経験したのが始まりではないかという説が、説得力あります。
それまでマンマの料理しか食べてない若者が、駐屯地で他の地方出身者が作った他の地方の食材の料理。
日本だったら、米、その時代だったら芋粥とかなんですかね、とみそ汁。
これくらいの共通点はあるでしょう。
今までポレンタしか食べた事無い人が、パスタを食べる。
その逆しかり。
すごいです。
この保守さ加減。
 
 
では、日本料理の定義は簡単か?というと多分難しいと思います。
カレー、ハンバーグ、唐揚げ、焼そば、いずれもかなり生活に密着した日常食ですが、和食でしょうか?
最近新聞で読みましたが、日本料理を無形文化財だったかな?に申請する動きが出て来ているらしく、同じようにカレーや、ラーメン等と一線を画する定義付けを始めたそうです。
 
 これは、実は結構画期的な事でしょう。
食とは生命維持のため、その先にある味覚の楽しみ、20世紀はここまででした。
21世紀は、色んな国で料理を学術的にとらえ始めています。
 
20世紀以前、すでに料理を学術的に扱っていた国が2つあります。
フランスと中国です。
フランスは中世から、料理を外交手段として使っていました。
アントナンカレームって映画にもなっていますが宮廷の晩餐を料理はもちろん、贅の限りを尽くして色んなアトラクションを入れながら演出する職業がありました。
確か、レオナルドダヴィンチもそんな企画を手掛けた事があるような事を読んだ事があります。
 
宮廷料理として発展したフランス料理は、理論的に物凄く発達しています。
すでに厨房設計の理論なんかもあったみたいですから大したもんです。
 
同じく中国も宮廷料理が発達しています。
絶対的な権力者が存在すると食文化は発達するようです。
 
フランスと中国の違いは、外にアピールしてきたかと、基本的に自国と自国民の為の料理かの違いでしょうか。
 
今日に至っては、世界中で食が発展しています。
現在の絶対的支配者、それは資本主義です。
 
中国が、今の好景気に沸く前、15年くらい前ですかね、あるすごく有名な日本人の中華のシェフに聞いた話なんですが、中国に色々食べに行っても最終的には香港が1番美味しいと。
香港のコックは、がんばったら給料が上がる事を知ってるので向上心が全然違うとおっしゃっていました。
そして、1番外国人に料理を作る機会が多い地域でもあったでしょう。
 
その頃ですかね、ヌーベルシノワという言葉も聞くようになりました。
 
僕の勝手な定義ですが、ヌーベルキュイジーヌ、ヌオーヴァクチーナ、ヌーベルシノワ。
これらは、資本主義の産物です。
第二次大戦後、世界的に民主化、資本主義が発展し、市民の中でも成功者、裕福層が増えた事により飲食店の階級も細かく分かれたはずです。
客層が広がった、つまりビジネスチャンスが増えた訳です。
 
ヌーベルキュイジーヌのモードはフランスで始まり、フレッシュな食材を生かすため加熱時間の短縮や、油脂分、塩分を減らした軽い仕上がりを意識した料理を作る動きの事です。
健康に留意する、肉体労働から知的労働に変わる、交通、流通の発達。これらも資本主義の恩恵でしょう。
 
裕福層がどんどん増える事によって、レストラン側は、より多岐にわたるニーズに応える必要が出てきました。
そして資本主義の醍醐味は、ニーズに応える事ではありません。
ニーズを作りだした人が成功者になるのです。
 
そこから料理に創作性を盛り込むという理念が生まれました。
ここでしか食べられない、自分しか作れないという独自性、専売性を強く意識し出します。
 
その動きは盛り付けにも大きく影響しました。
それまでソースはたっぷりと肉や魚の上からかけるのが常識でしたが、先ずソースを皿に流し、その上に主材料を置くという手法が生まれます。
こうする事によって、ソースに頼りすぎず素材自体の味を楽しめるからです。
 
そして、西洋料理の盛り付けに高さが出ました。
立体的になってきたと申しますか。
これは日本料理の影響が少なからずあります。
日本の調理師学校やホテルに召喚され、来日するシェフが増えました。
そしてヨーロッパで活躍する日本人シェフも増えました。
資本主義によって発達したものは、その後必ずグローバル化して行きます。
 
 そして、フュージョン料理というジャンルが生まれました。
ごく自然な成り行きで発生しましたが、少しリスクのあるジャンルです。
フュージョン料理店と謳っている店は、まだそんなに多くありませんが、しっかりと料理の1ジャンルとして確立しています。
そして、元々、どこどこの国の料理という国境がなく、世界中の料理の魅力を取りこんでいますので、仮に、5人、10人集まって食事に伺ってもきっと好みの料理が見つかると思います。
 
そして、アイディアも自由で、ワクワクする盛り付けも魅力です。
カリフォルニアロールを例に挙げても分かるように、寿司を食べ慣れていない欧米人でも抵抗なく食べてもらえる工夫が満載です。
 
この様にフュージョン料理自体は、時代を捉えた魅力的なジャンルです。
何が危険かというと、フュージョンと謳っていない料理店(イタリア、フランス、中華、和食が顕著ですかね)がフュージョン化して行く事です。
 
フュージョン料理には、元々国境の観念がありません。
しかし、世界中のフレーバーが盛り込まれています。
逆に言えば、フュージョン料理にある国のフレーバーを強調すると、その国のモダンな料理に見えてきます。
 
先ほどの例ででましたカリフォルニアロール。
巻きずしの形を取らず、でも食材の組み合わせや味はそのままで、盛り付けをちょっと変えてトマトでも添えれば、イタリア料理店で出てくると、まあ、なんとなくイタリア料理として食べる事になります。
しかし、これはあくまでフュージョンであって、イタリア料理でのアレンジではありません。
替え歌みたいな感じですね。
フュージョンをイタリア料理化する。危ないのはこの線です。
 
 
日本には世界各国の料理店があります。
その中でイタリア料理だけが、イタリアから直接入らずアメリカから日本に入りました。
ピザとスパゲッティです。
パスタという言葉を知る前に、僕たちが子供のころからある、スパゲッティとピザ。
 
今、40歳以上の方で、小学校の頃からキッシュ食べてる方いらっしゃいます?
インスタントのポトフもなければ、冷凍のコック オー ヴァンも無いですね。
 
スぺゲッティとピザは、何十年も前からインスタントも冷凍もあります。
でも、イタリア料理ではなかった。
スパゲッティ、ピザの横にホットドックを置いていても違和感の無い、アメリカの食べ物だったんです。
 
何十年も前からちゃんとしたイタリア料理店も少ないながらありました。
多くは、イタリア人かイタリア系の二世のお店です。
外国の料理は、その国の方が営んでるのが1番自然ですね。
 
で、その頃、西洋料理と言えばフランス料理でした。
イタリア料理は一昔前、エスニック料理の括りでした。
 
日本の高度成長に伴い、先ほどの話とリンクしますが、ファッション、車等の流行りも手伝い、イタリア料理もクローズアップされます。
クローズアップされてから、イタリアに修行に行く方も増え、イタリアの情報も沢山入るようになりましたが、今度はフランス料理の呪縛に悩まされます。
 
 
イタリア料理のニーズがドッと増えた時の、1番の上客は一通りフレンチを食べてきた方です。
先ず、外食に対してお金を払う事にポジティヴです。
そして、食に対する好奇心も旺盛です。
 
しかし弊害もありました。
基本的にフレンチがお好きなんです。
そしてパスタも好き。
僕が見習いだったころのブイブイ言わしてたお客さんは、このタイプの方が圧倒的に多かった。
前菜とメイン、特にメインがシンプルすぎるとダメなんですね。価値が見出せないとおっしゃっていました。
で、パスタはロングパスタ。
変な話、前菜はカルパッチョか、魚介、もしくはフォアグラをちゃっとソテーしてバルサミコ味。
気の効いた?食材の組み合わせのスパゲッティ、フレンチ的なメイン料理に仕上げにオリーヴオイル。
デザートはティラミスとパンナコッタ。
90年代の主流はこれでした。
 
 
そんな中、日本でイタリアの地方料理というテーマで勝負されて初めに大成功を収めたのは、東京のアクアパッツァの日高シェフでしょう。
確実にフレンチと一線を画してなお、レストラン料理としての完成度を持ち合わせた料理は、僕のイタリアに修行に行きたいという気持ちにますます火を付けました。
その後、六本木にラ ゴーラというレストランが出来ました。
ラ ゴーラの澤口シェフの料理が、料理の専門誌に登場するようになり、完全にノックアウト。
やられた!
先を越された!
カッコよすぎる!
これこれ!まさにイタリアの原風景の様な料理。
もしくは歴史的建造物が風景に溶け込んだような料理。
薄く切ったアスパラを並べてみたり、長いアサツキ乗っけてデコレーションしてる皿が稚拙に見えました。
 
エルポニエンテの小西シェフの料理もそうでした。
装飾が無い。
むしろ装飾の余地が無い完成度と申しますか。。。日本の器、陶器に似てますかね。
プリミティヴな美しさ。
高級ブランドの服を着た、メタボなおっさんと、鍛え抜かれたボディーにTシャツとの違い。(作ってる人の話でなく料理の例えです)
僕は、メタボでTシャツですが、料理は鍛えられたボディーにTシャツでありたい。(そんな料理を目指して自分を鍛えると、メタボになります。僕は鍛え抜かれたメタボです。)
 
 
話を本題に戻しましょう。
イタリア料理を大胆にもカテゴライズすると、この6つに分かれます。
 
①伝統的な地方料理
 
②地方料理
 
③時代のニーズに沿った新しい地方料理
 
④アレンジ???
 
⑤創作料理
 
⑥現代的な料理(コンテンポラリー)
 
今回のタイトルで、地方料理と伝統料理を分けたように、必ずしも地方料理=昔の料理という事では無くなっています。
地方色、地方性があるか否か、それは必然性という言葉に置き換える事が出来ます。
 
④,⑤,⑥の料理は、必然性の代わりに閃きと理論の料理です。
 
⑥に至っては、まだあまり日本では、イタリア料理のジャンルでは見かけませんが、スペイン、フランス料理では、かなり認知されているグループです。
むしろ、現地でもレストランガイドのトップは、⑤と⑥で過半数、続いて③、②、①の順ですかね。
 
イタリアでは、①、②のカテゴリーばかりのレストランガイドもあり、僕ももっぱらそっちを愛読しています。
 
 
必然性がある料理とは?少し説明しますと、A+B=C という事なんです。
最強の方程式です。
ある食材を、美味しく食べる最もベストな、最短距離の料理です。
いくつか例をあげましょう。
 
僕は、魚のアクアパッツァをあまり店で作りません。
何故か?
瀬戸内の白身でアクアパッツァ(言い換えると水分調理)に向いている魚が、あまり無いからです。
水分に浸かった状態で火を入れて、美味しい魚が少ないんです。
 
メバルと石鯛、冬の旬では無い時期のスズキのしっぽに近い部分、あと瀬戸内にはいませんがキンメ、これくらいですかね。
納得できるアクアパッツァが出来るのは。。。
メバルや石鯛なんかは、煮汁と上手く馴染ませる事ができるのですが、例えば真鯛なんかは焼くと素晴らしいですが、水分調理は難しいです。
身が、緻密で上質すぎて煮汁をはじきます。
 
イタリアの魚はというと、加熱をすると適度に、身に隙間ができます。目には見えませんが、簡単に言うと硬くならない、煮汁とのなじみもいいんです。
 
そして、アクアパッツァは出来るだけ丸一匹で調理したい。
アクアパッツァは本来、ニンニクとパセリ、ほんの少しのトマトと水とオリーヴオイル、塩のみで作ります。
貝やオリーブ等は、いれません。
となると、必然的に丸一匹の調理が前提になってくるのですが、今日のお客様のニーズは、少量多皿な方が多いんです。
となると、なかなか作るチャンスが無い訳です。
何故丸一匹にこだわるかと言えば、メバルならメバルのむせかえる程の香りを引き出す事が出来ますし、石鯛なら石鯛、キンメならキンメの味しかしない、非常にクリアで綺麗な味の料理になるからです。
だから、ブイヨンでなく水を使います。
 
一人前の切り身のポーションで作るとすれば、やはり貝やオリーヴ等で旨味を足す必要が出てきます。
本来の姿を尊重しながら時代のニーズに合う工夫をした、新しい地方料理と呼べると思います。
 
先出の日高シェフのお店はまさにアクアパッツァという店名で、お魚のアクアパッツァがスぺシャリテです。
日高シェフのアクアパッツァの作り方は、先ず魚をソテーしてから煮込むそうなんですが、これも本来のアクアパッツァとは違います。
でも、実は素晴らしい工夫なのです。
最初に魚をソテ―する事によって、ある意味魚の身にダメージを与え、魚の身に(隙間)を作ってらっしゃるのだと思います。
これも見事な新しい地方料理でしょう。
ポイントは、着地点が分かっていて、そこにたどり着くために必要な、必然的な工夫です。
C'=A'+B' という感じです。
 
 
長くなったついでにもう一つ例えを。
この例えは、地方料理をしていて一番ブルッと来るケースです。
 
ナポリ料理で CARCIOFI E PATATE SOFFRITTI  (アーティチョークとジャガイモの炒め煮)という料理があります。
この古いレシピには注釈があって、(シーズンが終わりに近づくアーティチョークとシーズンが始まる新じゃがの素晴らしい出会い)と書いてあります。
 
今までも、アーティチョークとジャガイモの組み合わせは何度も作ってきましたが、今年初めてシーズン終わりかけのアーティチョークと、シルヴィオが送ってきた新じゃがでこの料理を作った所、今までのは何だったんだ!と衝撃を受けました。
そして注釈の意味を、完全に理解しました。
 
シーズン真っ盛りのアーティチョークは、ポコポコ沢山出てきますので、アーティチョーク単体で贅沢に楽しみます。
で、シーズン後半になってくると収穫量も減ってきます。
そうすると、ちょっと底上げしましょかとなり、出始めの新じゃがを加えるんですね。
よーできてます。
 
しかし、ヒネのジャガイモと新じゃがでこんなに差が出るのかというくらい美味しいんです。
どちらも土臭い香りの野菜なのに、さわやかさを感じるくらいフレッシュで素晴らしかった。
 
そしてシルヴィオの野菜を使うようになってから、あまり味見をしなくなりました。
僕の一番自然な感覚で、大体味が一発で決まります。
 
昔ながらの伝統的な地方料理というのは、全ての条件が揃うと、鍛え抜かれたボディーにTシャツ的な完成度があるんだと、思い知らされました。
 
しかし、この条件は、イタリアでもあまり揃わなくなってきています。
世の中が便利になりすぎたのと、手間がかかるので、イタリアで①のカテゴリーのレストランで素晴らしく美味しい所は滅多に出会えません。
もし出合ったら、その旅行で一番の思い出になると思います。
 
 
 
①の伝統的な地方料理と②の地方料理の線引きは、時代が変わっても、ほぼ、アレンジ、微調節の必要が無い料理。
むしろ変えてはいけない料理です。
 
②の地方料理は、時代のニーズに合わせ、嗜好や年齢等も考慮して、微調節の猶予がある、ベースとなる料理。
③が、その微調節をしつつ、地方性が色濃く残った料理と言えますでしょうか。
 
⑥は、一目で分かります。泡あわだったり、煙が出てたりと、明らかに今までの料理とは一線を画します。
一度、思いっきり奇抜さ、目新しさの方向に針が振り切った様な気もしますが、最近ではそのテクニックを用い、伝統料理を更に昇華させるための、味覚に訴える料理のための方法のひとつとして確立して行く動きもあります。
 
大阪のエルポニエンテ オラさんは、まさに美味しさが伴った、むしろ美味しさのための最新テクニックという感Jで素晴らしく美味しかった。
日本のイタリアンは⑥は少ないですね。
 
⑤の創作料理は、多くの店がこのカテゴリーに入るようですが、実はごく一部です。
創作料理。
今までにない新しい料理。
これは本当の天才だけが出来ます。
全く新しい料理というのは早々生まれません。
 
 
僕の修業先のTORRE DEL SARACINO のジェンナーロシェフは真のクレアティーヴォ(クリエーター)です。
彼のスぺシャリテの一つ、甲殻類と磯部の小魚とグラニャ―ノ産ミックスパスタの煮込みなんかは、見た目はやや地味な古典料理の様ですが、今までにない新しい料理です。
新しい料理なのに、古典料理の様な風格。
この先50年、100年後のナポリ料理の本に載るだろう料理です。
他の州の人が見ると、これはナポリの料理でしょうとすぐ分かるキャラクター、さりげなく、無理が無くでも斬新。
今でもはっきりと思い出せるあの味。
マンマの味の様な、でも情熱と野心をもった男のエロスも感じる本当に素晴らしい料理。
100年後には、ナポリの伝統料理になってますよ。
 
僕はナポリ料理を作っていますが、彼はナポリ料理を創りました。
これが、僕が思う真の創作料理です。
そして、それは(もう食べた事がある)とか、そういった話題で終わりません。
又あれが食べたい!
あれを食べにあそこに行こう!
と、リピート出来る料理です。
 
今の世の中、毎回来店ごとにメニューが変わっているのがよし!みたいな所がありますが、あれが食べたい!という欲求は、まだ食べた事の無い新しい料理が食べたいという欲求に勝るのが自然なのでは???
とも思います。
 
僕は、イタリアの地方料理に夢中です。
そしてナポリ料理を生業にしています。
でもいつかは僕もナポリ料理を創りたいと思います。
 
今回はやたらと長くなりましたが、最後まで読んで下さり有難うございました。