

CONCEPT レストランコンセプト
オステリア オ ジラソーレの歴史
僕ことシェフの杉原は、日本のイタリア料理店で約6年修行した後、
イタリアのナポリ周辺で5年ほど修行しました。
日本での修行先は1軒だけ。
僕が修業していたころは、関西のイタリア料理店をけん引するお店の1つに数えられていた、西宮にあったリストランテ ぺぺです。
調理師学校時代、修行先を決めないといけませんが、どこで修行したら良いのかなんて全く見当もつきません。
色んなお店に行って、色んな物を食べてみたかったけど、初めて食べる物ばっかりじゃどこの料理が良いのか
分からない気がして、どのお店に行ってもカルボナーラばっかり食べるようにしていました。
漫画の美味しんぼ情報で、カルボナーラは難しいと思い込んでいたからです。
ある日出会ったのがリストランテ ペペの平井シェフのカルボナーラです。
ビリビリっと電気が走りました。
これが作れるようになる為だったら、何でも我慢できる!と思い、その場で弟子志願しました。
ペペでの6年間で、普通の人生一生分くらいの色んな我慢をしましたが笑、
最後の時期は厨房の仕事の殆どを任せて頂けるようになり、もっと強烈な理不尽と刺激と知識を求め
イタリア修業に行きたくて堪らなくなりました。
ペペではカルボナーラはもちろん、美味しさとは何か?という事を考える癖をつけて頂いたのが一番の宝です。
そして最初の師匠の平井シェフとは僕が18歳の頃からのお付き合いですが、
今でも頻繁にお会いしますし、時々コラボイベントもします。
師弟関係って良いもんです。
イタリアに修行に行く前に、どうしても農家で働いてみたくなり、3カ月ほど四国の養豚場で住み込みで働きました。
ペペに就職する前、大阪のスペイン料理の巨匠エルポニエンテの小西シェフが
独立前にシェフをしていたスペイン料理店でアルバイトをしていました。
その後小西シェフは一時四国で開業しており、僕は小西シェフの料理の大ファンで四国までよく食べに行ってました。
養豚場も小西シェフが探してくださり、流石に見つけたけど紹介出来る訳じゃないでと釘を刺されましたが、
イタリアに修行に行くのも僕には何のコネもありませんでした。
いわゆる飛び込みで働かせて下さいってやつです。
こちらの養豚場に人手が足りてるのか、足りてないのか、迷惑かどうかなんて分かりませんが、日本で日本語で日本人に僕の熱意が伝わらないなら、イタリアで片言のイタリア語でイタリア人に僕の熱意なんか伝わるはずがないと思い、
この養豚場にも飛び込みで働かせて(無給で住み込みという条件)下さいと頼みに行きました。
運試しです。
養豚場の御主人はびっくりした顔をしながらも快く迎え入れて下さり、いっそのこと後継いでくれ!と言われました笑
ここで月曜から土曜まで働き、日曜日は小西シェフのお店に皿洗いに行って、山盛りの賄いを食べさせてもらうという
ちょっとしたワーキングホリデーでした。
これで心置きなく日本を旅立てました。
イタリアに着いてからも山あり谷ありでしたが、運よくナポリで最初に働いたお店は5世代続く,
伝統的なナポリ料理を出す家族経営のお店でした。
そのお店はあまり前菜はなく、でも信じられないほど美味しいパスタと、
シンプルながら毎日食べたくなるメインと野菜料理を日替わりで出すお店でした。
毎日パスタ2種とメインは魚か肉か?付け合わせの野菜は何にする?
という非常に限られた選択肢ながら、ほんとにメニューは毎日変わり、冷蔵庫はほんとにいつも空っぽでした。
材料をストックする概念がありません。その日の分仕入れ、その日中に売る。
素材は超新鮮。すべて作り立て、ロスなし。
お客さんは地元の超常連か世界中からの観光客かという、これまた超両極端な客層でした。
なるほど。
何食べても美味しい以上、これはこの店に関わる人、お客さんも働く側もみんなハッピーなシステムだなと思いました。
自分がお店するときは、この店にプラス前菜があれば完璧だと思いました。
その店で2年強お世話になり、全メニュー作れるようになり、お店を移ることになりました。
短期間ながらレストランでなく、お菓子屋さんで働かせてもらいました。
茶色いお菓子ばっかりやのに、なんでこんなに美味しいんやろ。
そしてなんでこんなに作るの難しいんやろ。
お菓子はレシピで作る、出来ると思ってました。
そんなに甘くなかったですね、甘い物作るのって。
ここでは甘さの中の塩の大切さ、
茶色い要素ばかり重ねながら出せる濃淡と奥行き、
そして粉を焼くという事はどういう事かを学びました。
滅茶苦茶勉強になりました。
いよいよ高級リストランテです。
今度のお店は当時南イタリア一アヴァンギャルドなシェフと言われてたお店です。
そこのシェフは僕と3歳しか変わらない若いシェフでした。
こんな働くイタリア人いるんや。。。
と思うくらい、シェフ筆頭にめちゃくちゃ働くお店でした。
努力は実るものです。
今では2つ星。イタリア有数のレストランになりました。
そこでも最前線で鍋を振らせて貰い、料理とは、レストランとは、クリエイトとは、ホスピタリティとは、という議論を天才シェフの身近で体験し、時にはその議論にも混ぜて貰い、僕の中にもこの仕事における哲学みたいなものが芽生えました。
またそのお店はワインの品揃えでもイタリア有数で、ワインの勉強も毎日ベロベロになるまで出来ました笑
その間にソムリエ資格も取れて、ソムリエとしても勤務しだし、ゲストと触れるうちにやっとレストランを全体で見れるようになりました。
自分で店がしたい。
張り裂けそうなくらいそう思うようになり、日本に帰国し、僕のジラソーレを開店しました。
最初からは無理でも、いつかこの素晴らしい経験を全部詰め込んだお店にしたい。
そう思っていました。
2002年に10坪の小さな小さなオステリア オ ジラソーレをオープンし、
ナポリ料理という狭いカテゴリーの中で、彼の地の伝統料理に取り組み、
同時に僕の中に芽生える‘’美味しさ‘’をナポリ料理のフィルターを通して表現する料理にも全力で取り組みました。
順風満帆に見られがちですが、僕も商売の難しさの洗礼は受けました。
レストランを営むとは、料理だけしてたら良いわけでは無いことを嫌ほど思い知ります。
開業してから、一体どれ位の改革やシステムの変更をしたか数えきれません。
開業当時はしたかった事の10%も出来てませんでした。
少しづつ
少しづつ
その後、お陰様で2度の移転を経て今のジラソーレになりました。
この店舗では、僕のやりたい事が全部詰まっています。
愛して止まない真っ茶色なナポリの伝統料理
料理人としての好奇心、経験、技術、閃き、意地、遊び心満載な
クリエイティブなナポリ料理
デザート天国でもあるナポリの伝統的なケーキ、お菓子
料理に寄り添う素晴らしいイタリアワイン
そしてカッフェ
一軒の大きな店舗にデッカい厨房を作り、客席のフロアは2つに分けて、
一軒の店に二軒のお店を無理やり詰め込んだのが
オステリア オ ジラソーレです。
手前のフロアは大好きなナポリ料理をアラカルトで楽しんで頂くスペースです。
ナポリでの一軒目の修行先に倣い、カンティーナと名付けました。
カンティーナではお料理、ケーキ類のテイクアウトもご用意しております。
カンティーナの名に恥じない200種類近い品揃えのワインと共にお楽しみください。
チンバリーのマシーンで淹れるKIMBOのカッフェも自慢です。
奥のスペースは2002年の創業時から取り組んでいる、
ナポリ料理の過去から未来までコース料理でご提供しています。
アラカルトが大らかで楽しい料理なら、コース料理は緻密な準備を重ねて
皆様にお届けするストーリーを持つ作品です。
ですのでコース料理は事前にご予約をお願いしています。
ナポリ料理の過去、現在、未来
土地と料理の結びつき。
日本風ではない日本で作る、兵庫でしか作れない、僕にしか作れないナポリ料理。
それがジラソーレの料理です。
ご賞味くださいませ。